戦後生まれと8.15 [条件反射]

「終戦記念日」というのは国家からみた歴史認識であり名称で、結婚記念日やサラダ記念日のようにはハッピーな団らんに似つかわしくない。ので、うちでは勝手に8.15と呼ぶことにしている。
歴史認識に、自然科学や情報科学のような厳密な客観性を求めるのは無理なことだ。そこで立場やイデオロギー、国策などによって、事実解釈の違いやいいとこどり(わい曲)が跋扈するわけだけれど、それゆえにそれらは絶えず批判と検証にさらされるほかはなく議論は果てしなくくり返されることになる。嗚呼、客観性

わたしには国家の論理が醸しだすにおいに過剰に反応してしまうところがある。そのことを前フリとして数日前に書いたけれど、この暑さもあって脳みその水分が蒸発してしまったらしく、どんどん内容が硬く抽象的でワケヤカンになってしまったのでいったん削除した。で、昨夜は東京湾の華火大会に出かけ頭も少し冷やせたので、もうすこし具体的にじぶんの歴史認識(戦争認識)を検証してみることにした。まあ生まれる前のことでアレだけど。おまけに色眼鏡もかけている。色はアカというよりややブルーでしかも薄いほう。近視と乱視も入っている。

と、本題に入ろうとしたところで、今夜はとびきりあち-じゃねーか。明日にしよう。8.15までにはまだ時間がある。
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