関東軍のこと [条件反射]

日中戦争がはじまったのは1937年。父親が復員したのは敗戦の翌年の1946年だった。そのとき彼は30歳。ということは日中戦争開始とほぼ同時期に成人し召集されたということだ。(国家総動員法が公布された翌1938年に召集されたのかもしれない)

戦地の話はあまりというか直接にはほとんど聞いた記憶がないが、満州の夕焼けがすこぶるきれいで、もう一度見たい、現地に中国人の友人もいると親族か誰かと話していたのを憶えている。たぶん関東軍のどこかの部隊に所属していたのだろう。
一度だけ敵の銃撃で危機一髪の目に遭ったということもそのときに聞いた。一度だけ?ずいぶんのんびりしたもんなんだなあ、戦争ってのは、と子供心にガッカリしたものだった。

後になって、関東軍の謀略と悲惨の歴史を知ったが、戦記小説などを読むと、戦地や時期にもよるが、ひたすら歩いているばかりで意外に退屈な面も多々あったようだ。そんなことから古参兵による新兵へのいじめというか憂さ晴らしも蔓延したのだろう。そのあたりのことは戦後、伴淳三郎・花菱アチャコのコンビにより大ヒットした喜劇映画「二等兵物語」で面白悲しく描かれ、わたしも親とよく観に行き笑い転げたものだ。

関東軍のことは、友人が石原莞爾(かんじ)と身内同然なこともあり、前々から強い関心を持ってきた。関東軍とは、満州国とは、何だったのか。石原莞爾とは何ものだったのか。
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