人を食った話(つづく、フォークロア) [泡]

またひとつ年を食ってしまった。
年は食いたくないものだけど食わされちゃうんだから仕方ない。食ったところでなんの足しにもならない。食わずにパスできないものかと。

そしたら人を食ったらいいらしいよ、と口元でウィンクされた。
ほんとうに人を食ったら洒落にならないが、開高健によれば、中国のフォークロアというかエピソードには喫人の話がやたらと多く効用もあるらしい。じつは原書がある。篠田統「中国食物史」(柴田書店刊)。そこからの引用でかなり怪しく人を食った伝聞だけど、いくらか御利益をいただいた、気がする。

トリスを飲んでハワイへいこう、って煽ったのはサン・アドの同僚だった山口瞳だけど、開高健は人を食らって世界へいこう、と励んでたんじゃないだろうか?
広告という生業と小説という本命を併せ食う器量。それは詩人の世界にもある、あった、というかけっこう多かった。このa Happy BlogのIさんやFさんもそうだ。

年を食ったおかげで、かつてサン・アドでデザイナーをやっていたkさんと詩人のFさんと飲んだ。喫煙をやめるつもりはないが禁煙のふたりを前にしてどうしたらいいか尋ねてみた。そしたら、食べちゃえ、って

トリスを飲んで菊花賞10-2-3か15

で、大敗を食らった。買わないでよかった。24日15時45分

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、や 。 [泡]

郷愁とか住処とか行方とか迷路とか着信とか兎年とか銀河とか、
いろんなことがらがサイトのあちらこちらで浮かび彷徨った。

たぶん月が指さしている方向なんだろう。
狂ってなくちゃ面白くない。笑えなくちゃつまらない。
スタンリー・キューブリックやテリー・ギリアム、北野武の映画
エリック・サティ、中島みゆき、村上春樹、稲垣足穂、ボリス・ヴィアン
あ、ちあきなおみも
大まじめを見せられながらどこかクスクス笑ってしまう。
そんな指向がいつからか穴のように居座ってしまった。

その穴には詩や句や広告文案といったものも沈んでいる。
詩や俳句で「、」や「。」を見たことがない。
ふつうそれは記号あるいは呼吸の印にしかすぎない、と思うけど、詩人や俳人はそこに深い井戸か穴を幻視し糸を垂らし辿り降りるものだろうか。だから( 、)も( 。)もいらない、のか。

音楽というか楽譜には( 、)や( 。)に相当する記号がたくさんある。
エリック・サティの曲だと思いこんでいた、ヤン・ティルセンの曲は何度も聴いたような記憶があるのに、どんな記憶だったか思いだせない。( 、)や( 。)みたいのがいっぱいある。
たぶん郷愁とか既視感のせいだろうと思うけど、フォークロアというのはどこに生まれ住んでいても地続きなんだと気がした。

ほんとうはどこかで跡形もなく聴いたのかもしれない、が

と、つづく
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熱海じゃなく熱川で [泡]

伊豆の熱川へ用事があって出かけたところ、そういえば今宵は中秋の名月のはずと夕方まで粘った。その甲斐あって見事な月を見ることができた。

今日中に帰らなければならず、あまり落ち着けず帰途についた。夜9時頃に桔梗。自宅近くでは見えたり見えなかったりだったけど、それはそれでツキコさんだった。


熱川の名月(09-22 18:12)



晴海の名月(09-22 22:43)


名月を酒に浮かべたや今月今夜



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反戦で反核だが反煙じゃない奴 [泡]

禁煙しよう、あるいはしたいなんて思ったことは一度もない。ことはない。大抵お金に窮したときなんかは思ったりもした。まあそんなときでもパチンコ屋か雀荘でシケモクを漁ったり置き忘れを失敬したり、友だちに1本くれとセガんだりしてだいじに吸った。そうまでし続けて幾星霜。いまさら健康によくないとか肺ガンになるとか脅されてもビクともしない。だいたい両親ともヘビースモーカーだったし、そのあいだに生まれ、育ち、いまもその意志を固く継いでんだから誉められてもいいくらいだ ^^;)

タバコ吸っていいことなんかなにもない、とよく言われる。金(税金さえ)がかかる、健康によくない、街が空気が汚れる、ハタ迷惑どころか他人さまの健康さえ害する... おかげ様で法的(条例)制限までされる始末になっちまっただよ。
なかでも抗しがたいのは " 他人さまの寿命さえ縮める" というもの。副流煙疑惑だ。これはコタえる。究極的には人前に出られないことになっちゃうからだ。

わたしは幸いといおうかだいぶ前に会社組織から離れ一人ないし数人で糊口をしのいできたので、ここ十数年来の喫煙パッシング(嫌煙ワッショイ)からやや距離を置けたが、ずっと大なり小なり組織に身を置いてきた御同輩は相当悶々とした(してる)だろう。まあ意外とあっさり禁煙しちゃった人もけっこういるにはいる。が、そういう人のほうがより現役の喫煙者にシビアだったりする。それが知人友人だったりするとこれはもうほんとにアンハッピーだ。

そこに分煙なんて持ち込んでも意味がないし素知らぬふりでスパスポSLするしかないが内心すまなく思ったりする。いきおい疎エンにもなっちゃうわけだ。世界的な趨勢だし逆らってるわけでも、ん?ちょっとあるか。まあどうあれ健康や迷惑を旗印にされた日にゃ勝ち目はない。息苦しい世の中になったなあというのがホンネだ。いっそ喫煙国と非喫煙国に分ける、あるいは道州分煙制にするとか、どーよ。ついでに核や兵器といった煙類はどっち側も全禁。共存のため。徴兵年齢(赤紙様) or デンデラ野は60歳以上、喫煙男子のみとする。

平成21年時点(JT全国調査)、成人の喫煙者率は男38.9%、女11.9%、男女平均24.8%。うちの場合、男100%、女100%、平均100%。
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三題噺 [泡]

普天間、iPad、世界卓球と、関心事がよりによって三題噺のように重なった今日というか昨日だった。
いちばんうれしかったのが世界卓球で、いちばんがっかりしたのが普天間問題だった。日米安保破棄しか道はないのに鳩山はそれができない。おまえはできれば国外と言ってただろが。小沢は弟7艦隊だけでいいと!それをやると確信してなにがなんでも応援してきた。結果は......

ずっと昔のことだが藤富保男という詩人の「仕方が泣く頃」という好きだった作品があり、うろ覚えだが思い出してしまった。
死生観というのは人によっていくらか違うだろうけど、どうあれいずれ死ぬというあたりまえのことはいやでもしかたがない。一方でそのことへの恐怖、防衛本能を持つのもまたしかたがない。
が、それをいいことに、ことさらに煽り、動揺させ、強権的、あるいは時代(大衆)の潜在意識につけ入って、ひとつの方向へ動員、誘導しようとする、そしてされる。これをファシズムという。近頃のマスコミの動向そのものだ。
それが普天間問題を余計にむずかしくしている。(口蹄疫の問題もそうだ)

かつてカウンターカルチャやミニコミがアンチマスコミで勢いがあった頃ならここまでマスコミどもが図にのることはなかった。ネットがどこまでかつて同様の力を持てるかどうか。じつはそれもあってマスコミどもは後生大事のワルあがきをやってるのだろうとも思う。

死んだら焼かれて灰になる。クマ詩のいうように。それがふつうだ。まあミイラにされたり別の仕方もあろうが。むろんどうあれエネルギー保存の法則により物理的なエネルギーとしては永遠に宇宙に残る。魂は知らないが。
わたしも妻も散骨ですます手はずにしている。死だけは女も男も平等にやってくる。それまで長い短いはあろうがしかたがない。神仏に頼るのは勝手だが、それを煽動する風潮はノーサンキュである。法然や親鸞のように悟ってもしかたがない。仕方が泣いてしかたがない今日この頃だ。
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1Q84を読んでるのは女子か、男子か? [泡]

ぼくの本姓はOではなく、SかTのどちらかのはずだった。が、Oになった。必然か偶然か、Oにつながる代々の墓へはほとんど行ったことがない。何年に一度か、十年に一度くらいか。そこはいつも小さな穴であり記号(.)に過ぎなかった。
かわりにTの親元にはよく連れられて行った。Tはなにしろ山寺の娘だったから。

住職はいつも空虚な本堂で木魚を叩き、Tの母はいつもお経か念仏をぶつぶつ呟いていた。そこすら音だけがよく響く小さな穴だった。
それに比べてはるかに巨大な空虚であり記号(.)である皇室というものに向き合うのは相当な勇気がいる。北野武は早々と降参してる。村上春樹という作家の真髄はそこに立ち向かっているところにあるんじゃないかと前々から思い、けっこう気になり読んできた。

今回の1Q84のBOOK 3も気になって読みたいんだけれど近所の本屋では手に入らない(品切れなんだろう)。注文すれば別だけどそこまでする需要はオイラにはない。
またaoiさんや星笛さんの杖というか箒にのせられてしまっただけ。
ただ、Sの素性がいまだによくわからないボクとしてはそのあたりの展開に興味がある。
だれか読んだ方がいたら感想を聞かせてほしい今日子の心だ。


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確認する今日 [泡]

桜の花びらが散る頃はココロも千々に乱れるようで、このところあちこちでアフォなことを書き散らしたり飲んだくれたり熱をだしたりしていた。これも"必然性"ってことか...
そんな折も折、ヨコハマのほうからちょっと(というか、とても)気になるひとひらの便りが届いた。すでにご承知の方もおられるだろうし、すぐに察しのつく方もおられる(わたしは今日はじめて知った)と思うので多くは書きませんが、快方に向かっているご様子なので少し安心した。



それにつけても、柄にもなく歳月というものがキリキリと身に染みた。この a Happy Blog も数えで6歳とちょっと。これはこれでまだまだ先は長過ぎるくらいありそう?だけど、やはり日々の泡をちゃんと確認していくという意味では長いとも短いともいえないなあと、aoiuemさんのおっしゃってることが少しわかったような気がした。のもトコノマ、ゴミ袋を出そうとしたら底に穴が空いていて昨日飲んだビールの残りの泡がぼろぼろこぼれだし始末に閉口したり、ちっとも"確認"ができてない今日この頃 ......だった。


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野のハト [泡]

aoiuemさんのブログが久々に更新された。だからというわけではないけど、触発というか挑発され、アホなコメントを付けてしまった。aoiuemさんのコトバというか気というかにはなにかそういう魔法のような引力があり、ついその杖に乗っかってみたくなる。以前ruriさんの詩をCD化したり星笛館さんのオカリナ演奏をデジタル化しようと企んだときもそうだった。
男子にとって女子は永遠の謎なんだと思う今日この頃、不思議な光景に遭遇した。

寒いなか近所の公園を歩いていたら、真性の野バト(キジバトともいうらしい)がグミ(ナワシログミ)の茂みのなかで実をつついて食べているのを真正面から向き合ってしまったのだ。野バトなんてtokyoのど真ん中にいるはずもないと思われるかもしれないが、前々から何度か見かけている。が、人が通りかけているのにまるで平気、マイペースで昼食か夕食か、茂みの中でついばんでいる。そんなのと真正面から目を合わせたのははじめてだ。
まあ、そういうこともあるかと通り過ぎた後、あっ、ケータイで撮っておこうと戻ったものの残念ながらもう地面に降りていた。それでもいくら近づいても知らんぷり。(写真ではブルーにみえるが実際は茶色に近い。それにつけてもiPadがあったら)



おい、おい、おーい、おまえは怖いもん知らずなのか?それともアフォか?なんだか同類を見ているような気がして何度も行きつ戻りつして、また熱が出てしまった。


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うちのヨシノ [泡]

わたしの住む長屋(縦)の目前は、舗道に沿ってちょっとした桜並木になっている。
10年ぐらい前にここへ落ち着いた頃はまだ植えたばかりの若木というか幼木だった。ゆえに、がんばって咲いてもスカスカだったのが、いつのまにか中高生ぐらいには映え(咲き)揃うようになった。

惜しいのはそれに沿ったすぐ向こう側を隅田川の支流というか運河が阻み、野暮なカミソリ堤防がシャッターのように河岸を閉ざしていること。写真で見るとこんな具合。幹の数本おきの街灯には「歩行喫煙・ポイ捨て禁止!」と黄色い看板が寄りかかっている。

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じつは写真の奥のほうにはずっと古くからの成熟した桜並木がつづく。橋からの遠目ではシダレ桜のように川面に向かってせり出し、なかなか見ごたえがある。が、これも近くだと残念ながら鉄格子を通してしか眺められない。
これにはワケがある。なんといってもそこに沿った建物が特養の老人ホームなのだ。


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花よりなにより、だいじなのは安全と安心、そして清潔、健康。微に入り細に入り生あたたかい親切に見守られた桜下の人生。おかげさまで、おいらも長生きができそう。

今週末は同世代の生き残りと都合により九段のほうで花見をすることになった。靖国神社にでも向かうつもりだろうか。それだけはヨシテノサクラ。せめて千鳥が淵にシタレヤ。


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