ムネオ、ムネン [条件反射]

昔だっていじめはあった。いじめっ子ちゃんがいた。わたしもやられたし、また逆もあった。が、それにもホドがあるというか一線があった。教師や親たちが目を光らせていたからじゃない。番長というだれもが畏敬する格別の生徒がいたからだ。
番長は暗黙の契約のうちに生徒をとりしきり、あまりに羽目をハズすものには制裁を加え、よその学校の生徒との揉めごとには身体を張った。正義や校則以前にね。



松山千春の歌はあまり親しんだこともなく好感を持ったこともなかったが、2002年前後か、鈴木宗男議員がマスコミ世論に袋だたきにされ、あげく収賄罪で逮捕・起訴された当時、まさしく番長の如く身体を張って鈴木宗男議員を守護し絶叫していた。
それを見てわたしは先入観(多くはマスコミの情報操作による)を恥じ両人を見直すと同時に、この事態のカゲに陰湿なワナがあろうことをうっすら察したものだ。

その後のことはご承知のとおり、佐藤優・元外務省主任分析官などによって「国策捜査」として暴かれてきた。にもかかわらず、こともあろうに民主党代表選をま近に控えたこの時期、見せしめのように収監が決定された。
小沢政権誕生をなにがなんでも阻止するという検察・司法権力および全霞ヶ関官僚、ならびに腰巾着(カスゴミ)による宣告ないし警告と言っていいだろう。なぜなら小沢氏と鈴木氏はいまや緊密な連携関係にあり、小沢政権誕生の暁には官僚(+カスゴミ)支配を脱し政治主導を貫徹すると、共に明言しているからだ。

総理大臣というのは番長であればいいと、わたしはそう思っている。まあクリーンであればそれに越したことはないが、いじめっ子ちゃんには鉄槌を食らわせ、優等生どもを縮みあがらせ、よその勢力にはニラみを利かせる。そっちのほうがだいじだと。むろん大衆や議員の支持も必要だ。
政策や理念、それはむしろ人々や議員が考え意思表示をし、番長に伝えることだ。タレコミじゃないよ、いまならネットや他の良質なメディアを使ってどんどん発信するってこと。
それが民主主義ってもんじゃまいかと、ここにいたってツクヅクオボーシな今日この頃だ。
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